プロフィール

1950年7月23日 埼玉県秩父郡大滝村字落合で生まれる。両親が医師で疎開先で生まれたが、わずか8週間目に東京に移り、それ以降、中野で過ごした。幼少期はひどい喘息持ちで「赤い鳥幼稚園」という名門に入ったが、ほとんど休みがちだった。小学校入学前に女子医大で扁桃腺とアデノイドの摘出手術をし、その後は生まれ変わったように元気になり、区立江古田小学校時代は6年間半ズボンで過ごすというタフぶり。小学校の成績はマァマァで、例によって私立中学受験の波に飲み込まれ、5年生から進学教室通い。有名進学教室にも合格して誰の目にもそこそこの有名私立中学に合格すると思っていた。ところがです! 何校受けたかは記憶にないけど、ことごとく落ちて、人生、初の挫折を味わった次第。 僕もそれなりにショックだったけど、今考えれば有名私立に行ったところで人生、大したことはなかったろうなぁと思います。

小学校時代で最も不幸な出会い〜ピアノ〜  

 思うに、人生というのは不幸な出会いと幸せな出会いがあるようです。記憶は曖昧だけど、小学校に上がる前からピアノを習わせられていたと思う。ご主人が早稲田の理工の教授かなんかで、まぁ、神経質そうな女性だったなぁ。これが僕の人生で最も不幸な出会い。なんせ、ピアノに触れる前にソルフェージをやらされて、こんなの人生最高の楽しみは「漫画」だったガキにとって楽しいわけもない。挙句、弾く曲はいわゆる練習曲で「音楽」という感性を磨くには最悪なテキスト。友達が皆、野球に興じている中、ピアノを習いに行くのは本当に嫌だったなぁ。今だから言えるけど、僕は小学校時代、本当に音楽が嫌いでした。そんなワタクシが何故、音楽にハマったのか? 2019年12月4日

小学校で音楽が嫌いになったもう一つの理由

 お袋が今年の1月、99歳で大往生した。最晩年のお袋を見ていて、死ぬことも大変なんだなぁ、とつくづく思いました。大体、99歳まで生きる人は人並外れた生命力があって、簡単には死ねないように体の構造がそうなっているのだと思います。このお袋、生まれは米国のシアトル。子供の頃からオペラ歌手を目指していて、教会で歌つたらガラスがビリビリ震えたと言う逸話があるくらいの「大声」の持ち主。そんな彼女がまだ幼い僕の近くでピアノを弾きなから声楽の練習をします。ドレミと少しずつ音程をあげてゆく音階ものです。僕はその声に地獄からの悲鳴を感じました。地獄に落ちた人たちの阿鼻叫喚の叫びです。僕はムンクの「叫び」のように耳を抑え、この暴力的な音の洪水に耐えました。「音楽なんかこの世から消え失せればいいんだ!」幼きタカシ君の精一杯の雄叫びです。2019年12月5日

意外な音楽との出会い−ビートルズとチゴイネルワイゼン

 そんな訳で意気消沈して区立の中学校に通う事になったタカシくんは、いつも下半身がもぞもぞするようないわゆる思春期を迎える事になります。女の子の胸が気になり、女の子と話すと妙に胸がときめく。何でだろう、と思いつつ、仄かに憧れる女の子が出てきます。スガヤさんって言ったかなぁ、ちょっと暗い感じで確か少し三級(歯医者さんは知っているけど、下顎が前に突き出ている)だったような尖った顎をしていました。この子とは一度だけ話したことがあるけど、ただ、憧れただけのプラトニックのいわば初恋です。そんな中でビートルズの登場です。この世のものとは思えないメロディー、そしてリズム。全てが僕たちガキたちの心を捉えてしまいました。僕の人生でビートルズの登場の現場にいたことを本当に幸せに思います。そして、ある日のこと、教室の中庭を挟んで向こっ側の音楽室から聞こえてきた「チゴイネルワイゼン」。涙が出るくらい感動して休み時間に音楽室に飛んでいきました。音楽の先生は「ミヤタくん、この曲はね、サラサーテと言う作曲家が書いたジプシーの音楽なのよ」と教えてくれた。そして、音楽室でもう一度この曲を聴かせてくれたのです。タカシくんは感涙に噎せ肩を震わせていたらしい。先生がこう言いました。「よほど好きなんだね。放課後、もう一回おいで」それが僕の音楽の出会いです。2019年12月6日

タカシ君、コーラス部に入り喉を潰す

 このオネエ言葉の音楽の先生、実は巨漢の男性。いつも汗をかいていて、脂ぎっていた。まぁ、中学生にとっては「ちょっと気持ち悪い」おじさん。その先生がコーラス部の部長(と言うのだろうか?)で「宮田くんはきれいなボーイソプラノだから、コーラス部に入りなさい」と命令口調で言われた。僕はその頃、従兄弟の影響で柔道部に入っていたのだけど先輩たちがちょっと不良系であまり真剣ではなかったね。だから、あまり考えずにコーラス部に顔を出すようになったわけ。僕はピアノを習っていたお陰で楽譜は読めるし、譜面を見ればすぐに音が取れた。だから、すぐに合唱を合わせられたし、先生にとっては「すごいぞ!」と言う感じだったんでしょうね。こっちも調子に乗って大声で歌っていたら突然、声が出なくなった。いわゆる「変声期」です。それでも頑張って高い声を出していたら、結局、喉を潰し今のダミ声になってしまったわけです。2019年12月9日

山と出会う

中学二年頃 親友の山崎君と冬山に挑戦した時のもの。どこだったか記憶にありません。後ろが僕

 中学校生活でもう一つ僕を夢中にさせたものがあります。それは「登山」。どういう経緯で山登りを始めたのか記憶にありません。山崎くんという親友がいて、彼に誘われたのだと、多分そう思います。毎週のように東京の近郊の山を日帰りで登りました。親父は仄かに山男に憧れた節があって(親父は軍人を10年もやってそれどころではなかったのでしょう)、僕が山に夢中になる事には反対はしませんでした。冬山にも果敢にチャレンジしました。今や成人病の陳列棚状態で、寺社の階段を登るのもしんどい状態ですが、山だけは結構年取るまで登っていました。2016年頃に心房細動を病み、手術でほぼ完治したのだけど、やはりちょっと登る気にはなりません。これは結構、悲しい事です。2019年12月12日

いよいよ後が無い高校受験。

日本の中学生に重くのしかかる重圧は高校受験です。小中9年間の義務教育を終えると、高校に進学するか就職して社会に出るしか子どもたちには選択肢がありません。僕らの世代は中卒で社会人になったやつもたくさんいました。大工に奉公に入ってなんかの時に偶然会ったら100人からの職人を束ねていて、それはそれは羽振りがいい。こっちは大学までてて、あげく国家試験に合格してもこんな貧乏生活です。高校大学を出ても、大した生活ができないのなら、早い時期に社会に出て、技術を身につけた方が社会人としては成功するのかも知れませんな。